田蓑神社 | 徳川家康公との縁が紡ぐ歴史ある神社

佃の漁民が切り拓いた徳川家との因縁

天正14年(1586年)、住吉大社から多田神社への参詣途中だった徳川家康公のために、神崎川で渡船を漕いだのが佃の漁民たちだった。この働きに対し家康公は全国での漁業権と税の免除を与え、「田で働け」との言葉とともに村名を田蓑から佃へ改めさせている。社名にだけ「田蓑」の名が残されたのはこの経緯による。寛永8年(1631年)には境内に東照宮が建立され、毎年5月17日に東照宮祭が斎行されている。

天正18年(1590年)、家康公の関東下向に同行した佃の漁夫33人は、田蓑神社の分神霊を携えて江戸へ向かった。彼らが幕府から鉄砲洲向かいの干潟を拝領し、自力で島を築いたのが現在の東京都中央区佃の起源にあたる。正保3年(1646年)には住吉三神・神功皇后・徳川家康の御神霊を祀る佃住吉神社が創建された。境内に立つ「佃漁民ゆかりの地」碑は、未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選にも選ばれている。

元禄の狛犬が語る境内の奥行き

本殿両脇に安置されている花崗岩製の狛犬は、元禄15年(1702年)の奉献で、大阪府内最古の石造浪速狛犬として知られる。像高約50cm、釣り上がった太い眉に棗型の目という独特の面立ちで、阿吽とも垂れ耳、吽形には短い角がある。江戸時代前期に突如完成形で大坂に現れたとされ、狛犬研究者の間でも謎の多い存在だという。東照宮前にはこの元禄狛犬を模した昭和2年(1927年)建立のものも並ぶ。

個人的には、300年以上前の石像がここまで表情豊かに残っていることに素直に驚いた。風化による細部の摩耗はあるものの、眉や口元の造形は今なおはっきりと確認でき、当時の石工の力量が伝わってくる。境内にはほかにも船の鬼板という神宝が奉られており、神功皇后ゆかりの伝承と結びついた品として代々守られてきた。こうした有形の文化財が屋外に残り続けている神社は、大阪市内でもそう多くない。

貞観11年から続く信仰の地層

貞観11年(869年)9月15日に鎮座したと伝わり、祭神は住吉三神と神功皇后。創建の縁起は、神功皇后が三韓征伐の帰途に立ち寄った際、島の海士が白魚を献じたという故事に遡る。その後この地を開拓した折、海士が再び現れて「御船の鬼板を安置し住吉大明神を祀れ」と告げたことが創祀の契機になったとされる。社名は田蓑嶋姫神社から寛保元年(1741年)に住吉神社へ、明治元年(1868年)に田蓑神社へと変遷した。

神崎川と左門殿川が分岐する南方に位置し、かつての難波八十島のひとつ田蓑島にあたるこの場所は、平安期の天皇即位儀礼「八十島祭」の祭場だったと推定されている。住吉大神は伊弉諾尊の禊祓から生まれた海の神であり、国生み神話とも深く結びつく。参拝者のなかには「古代の祭祀空間に立っているのだと思うと感慨がある」という声も聞かれる。西淀川区佃の氏神として、千年以上にわたり住民の暮らしとともにあり続けてきた社である。

祭礼が結ぶ地域の輪と参拝案内

田蓑神社氏子青年団が先導する秋の大祭では、子どもたちが「こどもふとん太鼓」として大小各1台のふとん太鼓を佃地区内に巡行させ、要所で大阪締めを行う。拝殿での巫女による御神楽の奉納、境内周辺に並ぶ10軒余りの夜店も含め、地区全体が一体になる一日となっている。田蓑和楽会の活動を通じた伝統文化の継承も盛んで、世代を超えた交流の場として機能してきた。平成7年(1995年)の阪神・淡路大震災で大きな被害を受けたが、地域の人々の手で復興を果たしている。

阪神本線「千船」駅から徒歩約15分、JR東西線「御幣島」駅からは徒歩約30分ほど。駐車場は2台分のスペースがあり、参拝自体は時間の制約なくいつでも可能だという。祈祷は事前予約制で、電話(06-6471-5416)での受付に対応している。大阪・佃と東京・佃の両佃小学校は1965年から姉妹校として交歓会を続けており、東京側の住吉講からは石柱の奉納も行われてきた。

西淀川区 神社

ビジネス名
田蓑神社
住所
〒555-0001
大阪府大阪市西淀川区佃1丁目18−14
アクセス
TEL
06-6471-5416
FAX
営業時間
定休日
URL
https://tamino-jinja.com